
マレーシアで毎年話題となる「ヘイズ」は、煙や微粒子が空気中に充満し、遠くの景色が白くぼやける大気汚染現象です。一般的な霧やもやと異なり、ヘイズにはPM2.5などの有害な汚染物質が多量に含まれており、独特の焦げ臭いにおいを伴います。
この現象の主な原因は、インドネシアのスマトラ島およびカリマンタン島における大規模な森林火災や泥炭地(でいたんち)火災です。泥炭地は炭素を豊富に含み、乾燥すると燃えやすく、通常の火災よりも大量の粒子状物質や黒炭を放出するため、大気汚染を深刻化させます。農地開拓や製紙パルプ、パーム油のプランテーションのための焼き払いも原因の一つとされています。
東南アジア地域全体で発生するヘイズは、主にインドネシアで発生した大量の煙が、乾季に吹く北西モンスーン(季節風)に乗ってマレー半島やシンガポールといった近隣諸国に流れ込むことで生じます。このため、ヘイズは特定の国だけの問題ではなく、国境を越える深刻な大気汚染問題として認識されています。
2025年には、7月に入るとインドネシアのスマトラ島とカリマンタン島での森林・泥炭地火災が主因となり、再びヘイズがマレーシアに到来しました。クアラルンプールやジョホールバルなどの都市部では、視界が悪化し、大気の質が急激に低下する状況が見られました。
当初、2025年の乾季は比較的穏やかであると予測されていましたが、7月中旬以降にスマトラ島で火災が相次いだことで、「中程度のリスク」を伴うヘイズが発生しています。農産物価格の上昇や森林破壊の進行が、焼き払いによる土地転用増加の背景にあると推測されており、2025年後半も「中程度のリスク」が継続し、乾季が進むにつれてさらなる悪化が懸念されています。空気汚染指数(API)が100を超え、「不健康」とされる水準に到達する日が多くなっています。
シンガポール国際問題研究所(SIIA)が発表した「煙害(ヘイズ)アウトルック2025」によると、2025年下半期のリスクは、2024年の「低リスク」から「中リスク」に引き上げられました。これはインドネシアでの森林伐採増加、一次産品価格の変動、および政策移行の不確実性に対する懸念が主な理由とされています。
2024年は比較的ヘイズの影響が落ち着いていたという認識もありましたが、2025年は再び大気汚染が深刻化する傾向が見られます。現地に長く住む人々の間では、「近年は大分ヘイズ問題も軽減されてきていたはずだが、インドネシアでの大規模な森林火災を理由に、最近またマレーシアのあちこちで大気中が真っ白だ」との声も上がっています。この状況を受け、一部の駐在員の中には、ヘイズの深刻化を理由に帰国を検討する動きも出ているようです。
また、移住当初はヘイズによる体調不良を感じなかった人々も、数年間の滞在で体に微粒子が蓄積され、日本の花粉症と似た症状が突然現れるケースも報告されており、長期的な影響が懸念されています。
マレーシアのヘイズは、例年、雨が少なく乾燥する乾季にあたる5月から10月に多く観測されます。特に6月から9月、中でも8月から9月がピークとなり、この時期に大気汚染が深刻化しやすい傾向があります。南西モンスーンの風向きによって、インドネシアで発生した煙がマレー半島へと流れてくるため、この季節風がヘイズ発生の重要な要因となります。雨が少ない年は、火災が広がりやすく、ヘイズがより深刻化しやすい傾向にあります。
ヘイズの影響を特に受けやすいのは、マレーシアのマレー半島西海岸側に位置する都市、例えばクアラルンプール、ジョホールバル、ペナンなどです。しかし、風向きやその年の気象条件によっては、東マレーシアのサバ州やサラワク州にも煙が流れることがあります。マレーシア政府は、各地域の大気汚染指数(API)を毎日公開しており、居住者や旅行者はこれを確認することで、現在の汚染レベルを把握し、適切な対策を講じることが推奨されています。
ヘイズはマレーシアに住む駐在員家族の健康に様々な影響を及ぼす可能性があります。特に小さな子ども、高齢者、そして喘息や気管支炎などの呼吸器疾患、心疾患、アレルギーを持つ人は、健康リスクが高まるため注意が必要です。
具体的な症状としては、喉の痛みや咳、鼻水、目の痒みや痛み、頭痛、呼吸苦などが挙げられます。ヘイズに含まれるPM2.5などの微粒子は非常に小さいため、呼吸器の奥深くまで到達しやすく、長期間吸い込むことで慢性的な健康リスクを高めるとされています。最近では、PM2.5を含む大気汚染に発がん性があるという指摘もされています。
実際に現地に住む家族からは、「日本の花粉症と全く同じくしゃみと鼻水の症状が出始めた」「子どもが朝起きてすぐにくしゃみを連発し、肌荒れも見られた」といった報告があり、特に乾燥敏感肌やアトピー体質の子どもは肌荒れが出やすい傾向があります。
ヘイズが深刻な時期には、駐在員家族の日常生活や屋外活動にも大きな影響が出ます。視界不良により、陸路、海路、空路の交通に混乱が生じる可能性があります。屋外での作業やスポーツイベントの中止、または制限も予想されます。
大気汚染指数(API)が100を超えると、屋外活動は控えるべきとされ、屋内に留まり、窓やドアを閉めることが推奨されます。洗濯物を外に干せない、独特の焦げ臭いにおいが室内まで漂うなど、些細ながらも日々の生活に影響を及ぼします。過去にはヘイズによる経済的損失が数兆円規模に及んだ報告もあり、その影響は広範囲にわたります。
マレーシアの教育現場では、ヘイズ発生時に子どもたちの健康と安全を守るための具体的な対策が講じられています。教育省は、大気汚染指数(API)が一定の数値を超えた場合、学校や幼稚園での屋外活動を制限するよう各教育機関に通達しています。さらに、APIが200以上に達した際には、学校閉鎖が指示されることがあります。過去にはクアラルンプールの全ての学校が数日間休校になった事例も報告されており、政府はAPIが200を超えた時点で全国の学校をオンライン授業に切り替える方針を発表しています。
コロナ禍を経て、多くのインターナショナルスクールでは、教室内の空気の質を維持するために高性能の空気清浄機が導入されており、子どもたちが安全な環境で学習できるよう配慮されています。
ヘイズがひどい時期には、屋外での体育の授業や休憩時間の活動が屋内に変更されたり、運動会などの学校行事が中止されたりする影響が出ます。学校閉鎖が決定された場合は、オンライン授業に切り替えることで学習の継続が図られます。
学校でのマスク着用は推奨されるものの、コロナ禍のような義務化はされていません。保護者は、子どもの体調に異変がないか常に注意を払い、咳が止まらない、呼吸が苦しそうなどの症状が見られる場合は無理に登校させず、速やかに小児科で相談することが大切です。
マレーシア政府は、ヘイズ問題に対し積極的に取り組んでいます。マレーシア環境局は、毎日3回(午前7時、午前11時、午後5時)、「Air Pollutant Index of Malaysia」のウェブサイトを通じて各地域の大気汚染指数(API)を公開し、国民に最新情報を提供しています。保健省は、APIが101(不健康)を超えた場合に屋外での活発な運動を控えるよう呼びかけ、国民が健康への影響を軽減するための具体的な予防策を提示しています。
環境問題を軽視する企業による野焼きを取り締まるため、マレーシア森林局は定期的なパトロールを実施し、国会でも取り締まり強化が発表されています。
マレーシアは2025年のASEAN議長国として、「ASEANヘイズフリー(煙害のない)ロードマップ(2023~2030年)」の実施に力を入れることを確約しています。このロードマップは、2030年までにASEAN地域をヘイズフリーにすることを目指す主要な指針です。
この取り組みは、「越境ヘイズ汚染に関する協定(AATHP)」に基づき、森林火災や泥炭地火災への対策を強化し、自然資源の持続可能な管理を推進するものです。具体的には、加盟国間の法律執行協力、火災多発地の監視、持続可能な土地利用を柱とする包括的な防止戦略の導入が進められています。また、衛星技術、気象モデル、リアルタイムデータの共有を活用した早期警戒システムの強化にも重点が置かれています。定期的な技術会議や合同訓練を通じて、越境政策と戦略の調整が図られており、ASEAN越境ヘイズ対策基金の運用や、新たに設立された「ASEAN越境ヘイズ対策調整センター」の活動も進められています。
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